ムルティプラを取りに行った日の話

納車日当日は、梅雨の合間に青空が広がるとても暑い日であった。

こんな天気の良い日にムルティプラの納車を迎えられるなんて、気持ちが高ぶってくると言いたいところだが、実はそれほど気分が乗っていたわけではない。

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事務所に入ると、おじさんがお水と缶ジュースで迎えてくれ、

「本当に納車が遅れてすみませんでした」

と申し訳なさそうにお詫びをする。

しかし、私にとっては納車遅れなどはどうでもよく、それよりも気になることがあった。

おじさんは続けて、今回の整備明細を見せてくれた。

そう、気になっていたのはこれである。今回、整備を外注に出したということで、おじさんの懐には何一つ入ってこないのではないだろうか。

明細書は、そのまま外注先からおじさんへの請求書を兼ねていたので、請求額まで知れてしまった。持ち込みパーツというのは、おじさんが手配したらしいので、その価格も含めると約45万円。さらに、別の業者を使って塗装のはがれも修繕してくれているのだから、それも含めると、外注費は50万は超えているだろう。

私が支払ったのは65万円である。この車体をいくらで仕入れたのかは知らないが、その費用も考えると、果たして利益があったのかどうか、怪しいところである。

私は率直に聞いてみた。

「持ち込み部品代で、総支払い額を超えて○○さんが肩代わりしているようでしたら、その分はお支払いしますが、、」

「いえ、それは結構です。今回は私の見積もりが甘かったということですし、納車も遅れていますので、この額で構いませんから」

明細を見ると、最低限の整備はしてあるようであるが、ムルティプラのウィークポイントをおさえた整備という感じもしないし、向こうからもそんな説明もない。

私としては、当初はシトロエンの仙人に整備をお願いできると思い、このお店での購入を決めたのだが、結局はあまりイタフラ車になじみのない先に外注されることとなってしまった。カーセンサーに掲載されているなかで、ほぼ一番安い旧顔ムルティプラに手を出して、結局は賭けに負けたのだろうか。。

事務所の先には、整備工場があり、リフトに乗ったランチアモンテカルロが見える。整備している人はいないようである。

 

名義変更はこのあと私が行うため、さらに必要書類に目を通していると、相手の印鑑証明書が目に留まった。そこには、生年月日に昭和19年という文字が見える。

なんと、昭和19年生まれとは、私の父親と一緒である。おじさんではなく、もうおじいさんである。

それを知って、私は心の中で妙に納得ができた。これ以上は何を望もうか。とりあえず走れるようになって手元に来たのだから、あとのことは私が引き継ごうと。

お店に別れを告げて、運転席に着き、出発した。

車内はまったく掃除がされていなかったが、そんなことは、もはやどうでもよい。

私は掃除は得意なのだから。