お化けの実在に関する文献 - 1

『はじめに言わせてもらいたいことは、わたしはお化けの実在を信じる人間である。しかし同時に、実在しないお化けが存在することも信じている人間だということである。』

わたしの住んでいるマンションは、自転車置場が出入口とは反対側にあるので、別の通路から向かわなければならない。通路の途中に防犯カメラが天井からぶら下がっているのだが、その下を通るたび、わたしは不思議な気持ちにおちいっていた。

カメラのちょうど真下にあたる床は、小さな湯のみをこぼしたくらいに濡れていて、中心に一枚の鳥の羽が落ちている。それが毎回続くのである。
週に一度は管理会社の人間が掃除をしている姿をみかけるのだから、当然そこも掃除が行き届いているはずなのに、いつ見ても消えていることはない。

うす暗く人気のない通路で、一点の紙魚(しみ)は常にわたしの注意をひいていた。

夏も終わりに近づいたある日のこと、自転車置場からいつものように歩いていたわたしは、防犯カメラの下がいつもと違うことに気がついた。もちろん床には例のシミと一枚の羽があったのだが、その脇に普段はない何かがある。
近づいてみるとそれは髪の毛であった。
通路の左端に、たわしほどの大きさで、ひとかたまりの髪の毛が落ちていたのである。元来きれい好きなわたしは、掃除が行き届いていないことに不快感を示し、そこを足早に通り過ぎた。

ところが次に通路を通った時も、シミの脇に髪の毛がある。しかも前回見た時よりもはるかに増えて、束になって落ちている。風に流れてたまたまこの場所へ集まってきたにしては、あまりにも不自然であった。

不意をつかれたわたしは、この髪の毛とシミに、うっかり意識を立ち止まらせてしまった。

意識を立ち止まらせるというのは、簡単に言えば目の前の物体について注意を向けることである。ただし、積極的にその対象について考えるのとは少し違う。フィーリングを合わせて、そこにあるものを感じ取ろうとする行為である。

わたしは、いわゆる霊感というものが強い性質ではないので、やれと言われて容易にできるものではないのだが、これまでに何度か偶然できてしまったことがある。そして、できたとしても、この感覚を味わって、あまりいい目に遭ったことはなかった。

しまった、と思ったときにはすでに遅かった。

 

(つづく)