清川村温泉記(上)

宮ヶ瀬ダムの湖畔に車を停めたころには、重たい雲の裏側から宵の気配がただよい始めていた。朝から続く雨の勢いはいっこうおさまることなく、ひっきりなしに湖面に波紋をきざんでいる。
さっきからギョクレンの身体にも、傘のとどかないところめがけて雨が打ち込んでいる。駐車場の周囲を五分ほど歩いただけで、靴の内側にじっとりと水がしみこみ始めた。

「そろそろ行きませんか」

江井君は両足を交互に振りながら水気を飛ばしている。

備井君はその姿に納得したような視線を向けると、何も言わずにキーを取り出しドアロックを解除した。
その音を聞いた江井君は傘をたたんで早足で後部座席に乗り込む。
ギョクレンもあとに続いて助手席にはいった。

「ここから温泉までは10分弱で着くと思いますよ」

駐車場から道路へ出るとギョクレンは口を開く。

「もう体中びっしょりですよ」

江井君は風呂に入らぬうちからタオルを登場させて、身体を拭いてしまっている。

「残念ですねえ。晴れてたら最高の景色だったのに」

備井君はうらめしそうに道路沿いの湖に目をやった。

休日を利用して三人はドライブに出かけていた。宮ヶ瀬をえらんだのはギョクレンである。以前この近辺にある仏果山へ登った帰りに、ぐうぜん立ち寄った温泉がことのほか良かったことを記憶していたのであった。

前日にその存在を思い出したのであったが、肝心の名前と場所をすっかり忘れてしまっていた。唯一の手がかりは、右に曲がって細い道を行ったこと、風呂場はせまかったが、お湯は茶色くにごっていたことである。

わずかな情報をたよりにネットでさがしてみたが、それらしき温泉は出てこない。本当にまぼろしの温泉なのかもしれない。そうなると当時の道をトレースして記憶とマッチングさせていくしかない。

そんなあいまいな手段でたどりつけるのかは大いに疑問であったのだが、この近辺にはいくつか温泉があったので、万一行き当たらなくてもどこかに入ればいいだろうとのことで、目的地と定めたのであった。

「このまま行くと別所温泉、かぶと湯温泉、広沢寺温泉、七沢温泉の順でありますね」

江井君は地図にある温泉マークを見つけている。

「たしかにこの道を通って帰ったんで、そのうちのどれかだと思います」

ギョクレンは窓の外をきょろきょろしながら右に曲がる道の記憶をよみがえらせていた。

 

(中)につづく