「お、おれだって、金もってないんだよ」
私の耳に切実な叫びが届いた。
声の方角に目をやると、女子高生のすぐそばに、腰の引けた中年サラリーマンが立っていた。
そのサラリーマンと向き合うようにして、一人のバンドメンバーがとまどいの表情で立ちすくんでいる。どうやらメンバーが近くに寄ってきたので、CDでも売りつけられるのではと早合点し、あわてて離れようとしているのである。
「いえ、あの・・・これはライブのチラシですから」
メンバーはそんなつもりじゃないとばかり、誤解をとこうと弁明した。
「いや、いや、ホントにお金もってないから。ごめんなさいね」
しかし、サラリーマンの脳裏に一度植え付けられた恐怖は、そうそう払いのけられるものではない。相手の話になどこれぽっちも耳を貸そうとせず、足早に人混みに逃げこんでしまったのであった。
再燃の兆しをみせた路上ステージの雰囲気は、一人の男の退場とともに急速に冷え込んでいった。
メンバーも女子高生も、そして周りで和やかな笑いを発した誰もが、さっきまでの自分の言動にほんのちょっぴり反省を織り交ぜた気持ちで、サラリーマンの背中を見送ることしかできなかった。
ライブは尻すぼみに幕切れを迎え、会場となった路上はほんらいの雑踏へ姿を戻しつつある。
私は手にしたままの朝刊をなにげなく広げた。
そこには企業の4−6月期決算発表の記事があり、「業績好調」の文字が幅を利かせて大きく踊っている。
しかし私にとって、あんな光景を見せられたあとでは、ただの皮肉としかとらえることができなかった。
(終)