車がきれいになっても、ギョクレンの心中はなんだかくもったままであった。
「おほっ、デラックスコーティングをお選びですか・・・」
店員にとっては、最高グレードのコースを選んだことへの賛辞であったのかもしれない。だが、ギョクレンは相手の言葉も表情も素直に受け取ることができなかった。
「おほっ、こいつ洗車カードを使うからって、調子のってデラックスコース選んでるよ・・・」
断じて調子になどのってはいない。あんなふうに機械の脇に立たれていては、こっちだってまともにコースを吟味して選ぶことなどできなかったのである。吟味できないのだから、少しくらい見栄が先行してしまうのが人間じゃないのか。
誰に対するものでもない言い訳を必死に繰り返し、この次こそデラックスなぞ選ぶものかと固く心に誓い、スタンドを後にした。
それからしばらく月日がたち、ギョクレンはふたたびスタンドへとやってきた。給油をしていると車体の汚れが目についたので、久しぶりに洗車をしようと思い立つ。
前回のこともあるので、用心しなければいけない・・・注意深くスタンドを観察したが、洗車機のまわりには誰もいない。事務所をのぞいてみても、あの店員の姿はない。
これなら安心と機械の前に車を進めた。
「あのう・・・すいません」
ところが、財布の奥に閉まったままの洗車カードを探していると、不意に自分に呼びかける声が耳にはいる。ギクリとしておそるおそる顔をあげた。
そこにいたのは、あの店員ではなかった。格好からして他の店員でもなく、なんの変哲もないおじさんである。そのただのおじさんが、この場で自分になんの要件であろう。まさか洗車カードを売りつけるわけではないだろうに。
「はい、どうかしましたか」
ギョクレンは油断ならない表情で返事を返した。
「私もね、洗車をしたいんだけどね、この機械の動かし方、さっぱりわからないんだ。だから、おたくのやり方をここで見させてもらってもいいですかねえ」
ギョクレンの全身からさっと血の気がひいた。
「ああ、おやすい御用ですよ」
なかば引きつった声で返答をするギョクレン。事情を知らないおじさんは喜んで機械の脇に立ち、注文の仕方を見守った。
「まずですね、ここにカードを挿入します。それから洗車コースを選ぶんですが・・・」
あのときの店員のセリフをこんどは自身が暗唱している。なんの因果でこんな状況になってしまったのか、さっぱり理解できないままギョクレンは説明を続けていた。
このままいくとどうなるか、結末だけははっきりと見えていた。そうして画面にはおなじように3つの洗車コースが現れた。
「わたしですか、まあ、デラックスコーティング洗車を選ぶんですけどね・・・」
自分の決意など、他人の視線を感じながらの状況では、こうも脆いものなのだろうか。ギョクレンは自分の意志とは関係なく禁断の言葉を口走っていた。
そうして逃れられない運命にのみ込まれるかのように、洗車機の中へと消えていくのであった。
(おしまい)