通勤で使う駅を降りてしばらく歩くと、こじんまりとした商店街にぶつかる。
和菓子屋では、自家製あんこが売ってたり、
八百屋では、軒先のぬか漬けがうまそうだったり、
タバコ屋では、おばさんの染めた髪の毛とかけてるメガネが、おなじ色のグラデーションだったりと、
おもしろい店がいくつか並んでいる。
そのなかの一軒が先日店じまいしたようで、解体業者が店内の設備を運び出していた。作業中の店の前を通り過ぎるが、いったいなんの店だったのか、すぐには浮かんでこない。トラックに積みこまれていた木箱を見て、ああそういえばフルーツ屋さんだったと思いだした。
まあ、いまどきフルーツ屋なんて、やっていけるものではないよな。
けっこう店も古かったし、潮時だったのだろう
などと勝手に想像しながら通り過ぎていた。
それから数日たったある朝、店の前を通り過ぎようとすると、シャッターになにやら貼り紙がしてある。
それを目にした瞬間、自分の浅はかな考えはひっくり返された。
文字からにじむ店主の人柄。「あきんど人生」という言葉に込められた商売への熱い思い。
「やっていける、やっていけない」などという底の浅い言葉では、とうてい表現できるものではない。そこには、やりきったからこその充実感が、みなぎっていた。
さらに脇には、誰ともなく寄せられたメッセージノートがかかっている。きっとお客さんもこの張り紙に心を動かされずにはいられなかったのだろう。
「いかに儲けてやるか」「いかに安く買ってやるか」
そればかりがはびこる現代社会のなかで、お店と客の心が通いあった商売の理想的な姿を見たようであった。
文面の最後を飾る、最後になるであろう「毎度ありがとうございました」に、すがすがしさを感じると同時に、それを二度と聞くことができないさびしさも感じずにはいられなかった。