「これって・・・」
ギョクレンは続きをしぼり出すことができずに相手に助けをもとめる。
「ねっ、いるでしょ。マックィーンとブロンソン」
同僚はそんなとまどいなど意にも介さず、うれしそうに説明した。
「ええ」
そう返事をするしかなかった。
大脱走にはロマンが凝縮されている。不屈の精神があり、ゆるぎない友情があり、そして壮大なスケールがある。それをこんなにもそぎ落としてしまったフィギュアが存在するとは・・・。まるでせみの抜け殻をみているような思いであった。
世界にはまだ自分の知らないことがたくさんあるのだと、がくぜんとした。
もはやコメントする気力もなくなっていたのだが、まだ会話は終わっていない。なんとかふるい立たせて口を開いた。
「あと、たぶんこれはデビット・マッカラムですよねえ・・・でも、このもうひとりのオッサンはだれなんでしょう」
「さあ、僕マックィーンとブロンソンしか知らないんで。きっと箱に書いてありますよ」
無責任な発言で突き放されてしまい、自身の力でなぞを解かざるをえない。
「forgerってあるなあ。なんだろう。ドイツ軍の看守かなあ」ギョクレンは辞書をしらべる。
「偽造屋・・・てことはコリン!」
中年サラリーマンのような風貌のコリンとむかいあって絶句した。
コリンは大脱走でいちばんのチャーミングな男である。断じてこんな顔のフィギュアにしてはいけない。
ギョクレンは、もはやこれ以上キューブリックと向き合う気力は残っていなかった。ひととおりのお世辞をいって箱を同僚に返そうとする。
「いいんですよ。買ってきてあげたんですから」
「ああ、そうなんですか。なんかわるいですね。ありがとうございます」
そんなにうれしくはないものの、お礼をのべて箱を足元に置いた。もらったはいいものの、いったいどうすればいいのか。扱いに困りながらもひとまず仕事にもどることにした。
「3980円です」
同僚の声を聞いたギョクレンは、なにをいっているのかさっぱりわからない。パソコンモニターから目をそらして相手を見ると、一枚のレシートが差し出された。
「値引きされてたんですよ。お買い得でしょ」
相手の目は明らかに支払いを要求していた。
ギョクレンはフィギュアを持ち帰っていらい、いちどもその存在を思い出すことはなかった。
袋から取り出して数年ぶりに対面したのだが、あの日に同僚にお金をわたすときにこみ上げてきたせつなさは、時がきれいさっぱりとわすれさせてくれていた。
ただ、あの日いらい変わらず持ち続ける大脱走への熱い思いは、このフィギュアを介しては、やっぱりなにひとつこみ上げてはこなかった。
(完)