いつもとちがう朝を迎えた男の話(2)

動き出したエレベータはすぐに4階で停止して、一人の女が乗り込んできた。とびらが閉まるのを待ちきれない様子で体を小刻みに動かしており、相当に急いでいることがうかがい知れた。

いっぽう男は、女の後頭部にじっと目をすえて動揺で体をふるわせていた。それもそのはず、脇に目をやると、はっきりと点灯している2階のボタンが見えるのである。

はたしてこの女は、2階のボタンが点灯しているのに気がついているだろうか・・・

もはや寝坊のことなどすっかり吹き飛んでしまい、男の頭の大半は、そのこと一点が占めていた。

もしも気がついていなければ、2階で勘違いして出て行ってしまうかもしれない。そうならないように忠告してやらなければならなかったのだが、いったいどう言えばよいのだろうか。

「ボタンを押し間違えてしまったので、このエレベーターは二階で止まります。間違えないでくださいね。」

きっとこう言うべきなのだろうが、なんだか当たり前すぎて、声にするのも憚られる。そもそもこんなせまい空間で、見知らぬ男にいきなり話しかけられたら、逆に不安にさせてしまうだろう。よくよく考えてみると、女は自分で閉めるボタンを押している。そのときにすぐ上にある階数ボタンを確認しているのではないだろうか。

男がさまざまな考えを巡らせている間に、エレベータは3階を通過していく。いよいよ時間はなくなった。
いまさら忠告しようがしなかろうが、2階に来たらとびらは開いてしまうのだ。だったら開いた瞬間に間違えましたと言って謝ればいい。男は腹を決めてときが来るのを静かに待っていた。

ついにエレベータは2階に到着し、ゆっくりととびらが開かれた。ところが、男が口を開くよりも早く、女はものすごい勢いで外に飛び出して行ってしまった。

「違います、ここ2階なんです」

男はあわててエレベータから顔を出して叫んだ。女はすでに角を曲がっており、通路に姿は見えなかった。男は「開」ボタンを押したまま、女が戻ってくるのを待っていた。

やがて、重たい足音が近づいてくるのが聞こえ、女がゆっくりした足取りで戻ってきた。男は小さな声で「すみません」と詫びを入れ、女のためにスペースを開けた。
女は羞恥と憤怒が複雑に入り混じった表情で男をにらみつけると、ふたたび背を向けて乱暴に閉まるボタンを押し込んだ。

エレベーターはふたたび動き出したが、男はこれ以上女を刺激しないよう、後ろで極力気配を消して立っていたということである。