漂流

休日の昼過ぎにベランダに立って空を見ていたら、遠くに飛行船が浮かんでいる。東京の空に悠々とただようこの物体を目にしたときに私の脳裏に浮かんだのは、レッド・ツエッペリンのアルバムジャケットでもなく、サマーソニックに来たロバート・プラントでもなく、かつて日本に風船おじさんと呼ばれた冒険家がいたというかすかな記憶であった。

外に出た私は、変わらず浮かぶ飛行船の監視を受けながら、近所にあるスーパーに買い物にきた。このところレジにならぶたびに、ポイントカードの存在が気になっていたのだが、「お気軽にレジスタッフまで」という貼り紙を目にすると、決心はいつもゆらいでしまった。

いつ絶えるとも知れない長蛇の列。それを次から次へとさばくレジスタッフの無機質な存在感。私だけが流れを止めてお気軽に話しかけることなどできるはずがない。この日も言い出すことができないまま、従順にレジを通りすぎてしまった。

 カゴの中身を詰めているときのことである。私は2枚のレジ袋のうち、1枚を脇へ置いた。するとその瞬間、となりにいた年配のご婦人が、さっと右手で袋を引き寄せてしまった。

あぜんとして婦人に目をやった。私はレジ袋の所有権を放棄したわけではなく、そこに待機させていただけなのだ。それなのに、いったいどういうつもりなのだろうか。

婦人の表情には、他人のレジ袋をうまくかすめとったことによる満悦もなければ、窃盗の罪にさいなまれている様子も現れていない。ずらりとならぶ他の婦人方と同様、たんたんと手を動かしているのみである。

習性だ・・・わたしは驚愕の結論に達する。

婦人のかごは、あふれ出しそうなくらい満載である。毎日のようにここへ来ていると、脇に落ちたものはすぐに拾う習性が染みこんでしまっているのだ。

勘ちがいとわかったところで、いまさらレジ袋の所有権を主張することなどできるはずはなかった。しかし、かごにはまだまだ品物が残っている。

レジスタッフにもらおうとの考えも浮かんだが、この場の雰囲気にすっかりのみ込まれていた私には、もはや声をあげるいきおいはなかった。

私は途方に暮れて、その場に立ちつくしてしまった。両脇ではレジを通り抜けてきたご婦人方が、入れ替わり立ち代り袋詰をしていく。もはや誰にも頼ることなどできない。自分の力で切り抜けるしかない。そう決心すると、私は袋の中身をいったんかごに戻し、ていねいにすき間なく袋詰めをはじめた。

最後の品物を入れ終えた時、袋は破けそうなほどパンパンにふくれ上がっていた。私は親指と中指を目一杯伸ばして取っ手をつまむと、空っぽのかごをレジの脇にもどして外へ出た。

心地よい秋の風が、達成感に満ちた私の心に吹きつけた。空は真っ青に晴れ、遠くにはまだ飛行船が浮かんでいる。

この次こそは、ポイントカードの件を切り出せる気がする・・・私はその望みが実現することを信じてスーパーをあとにした。